行動−実験の場
今までとまったく違った行動をするって、過去何度かあったわ・
それって「どういうとき」だったかな?・・って考えてみたの・・
近年を振り返ってみて・・
2002−10−6・・・
ここからのことを「サナの真法」で書き始めたわ。
その数年前から私は引きこもり生活だったのよ・・
衝撃的なことが次から次へと起こってね・・
行動する・・外にでることに(仕事も含めて)疲れちゃったのね。
自信がなくなったの。
迷惑をいっぱい掛けたの・・だからね・・
また同じことが起こるのではないかって萎縮しちゃったのね。
それに、元来怠け者だし・・
その間、家業があるから週1〜3日は仕事に出かけたわ。
あとは、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと家にいたの。
ほとんどお友達とも会わなかったし、電話もしなかったわ。
信じられないくらいの隠遁生活。
人里はなれた土地で山篭りをしなくても、東京で出来たわ。
そんなもん・・・
出来ちゃうのよ・・
その気になればね・・・
お友達の誘いもみ〜んな断って・・
そのうち誘いがなくなったわ・・・
寂しくないって言ったら嘘になるけれど、その時ね、たった一人話す人がいたの。
それが37ちゃんだったの。
たくさん話したわ。
理解できない意味不明の話しもあったし・・
未来・・ずっとずっと先の未来の話しもあったし・・
ギャンブル・・パチンコ屋さんはなくなるの・・こんなことも言っていたわね・・
お金が要らなくなるの・・・あ〜わからない・・なんでぇ?・・って話も・・
霊の話もあったし・・
話していけないことはなかったの。
ただね
人のこと「あれこれ」・・って言うのほとんどなかったわね。
あの頃
あまり新聞も読まなかったし、テレビもね。。
マイナスな情報は、
「見ない・聞かない・言わない」・・・これを教わったの。
「必要なことは入ってくる」 って言われたの。
それがわかったの。
本当にそうなの。
最初はそれすらわからなかったわ。
それがね・・
することもなんにもなく・・(本当はあるけれどしなかった)
たまには新聞も広げるのね・・
そこに、「ん?」っと思う言葉があったり・・写真、絵だったり・・があるわけね。
「それが、25ちゃんへのメッセージよっ!」って教わったの。
これが?
メッセージ・・・
メッセージって、スピリ・何とか・・・って言う人たちがよく使うことばね・・
わたしね・・
「これこれしかじかであなたはこれして・・云々・・・」って教えてくれるのが
メッセージだと思っていたのよ。
この程度だったの・・・私のレベル。
今もさほど変わらないけれど・・
だからね
メッセージといっても懇切丁寧に教えてはくれるわけでないことがわかったの。
私の場合はね。
他の人のことはわからないけれど
私に教えてくれるメッセージっていってもこの程度ね・・残念だけど。
「自分で考えよっ!」・・ってことね。
私は思考力が欠けているから、そのことについても、37ちゃんによく質問したわ。
37ちゃんは決して、「ああなって、こうなって」・・とは教えてくれなかったわ。
必ずって言っていいほど、「25ちゃんはどう思う?」って聴くの。。
「わたしぃ?・・・う〜ん・・こうだと思う・・・」・・・
「だったらそうなるよっ!」・・・37ちゃんの答えはいつもこれだったわ・・
今振り返ると
37ちゃんって素晴らしい 教育者 だと思う。
「導く」ということね。
時間が掛かっても、「相手から引き出す」・・。
ついお節介して
先に「言ってしまう」「教えてしまう」「やってしまう」・・これは人が育たないのね。
上下関係は出来るけれど、育たないわ。
37ちゃんは
私に、「出来るよ!」「自分の思った通りでいいのよ」をたくさん教えてくれたの。
これって
簡単そうだけれどできないの。
手を出したくなっちゃうの。
言いたくなっちゃうの。
あなたのことを思って・・・
違うの。
あなたのことを心の底のそこから思ったら、
手を出しちゃいけないの。
自分で考えるように仕向けるの。
時間の掛かる作業。
自分を「善く思われたい」と思ったら出来ない作業。
自分の「心が強く」ないとできない作業。
<あなたなら出来る> と、信じる <自分を信じる>
信じて見守る。
私が「上」と思ったら出来ない。
「あなたも私もみんな一緒、同じ」・・・そう思ったら出来るわね。
そうなんだ・・
みんな一緒なの。
だって元は一つなのよ。
あなたが私で、私があなた・・・
時どきこんがらがるし、
「何であいつを私が・・」っと思ったりなんかしちゃうけれど認めなくちゃね。
認めないと前に進めないのよ。
「そうなんだ!」・・って。
「良いとか悪い」とかではなく、「そうなんだ」って認めるの。
認めたくない人?
そうね〜
ずっと、そうしていたらいいわ・・・
子供のころ母も言っていたわね・・
「そうして居たかったら、
ずっと、そうやってすねていなさい・・
ご飯も食べられないし、学校も行かれないのよ・・・
お母さんは何も困らないのよ・・」・・・・・・・・・・・・・・あ〜あっ・・
37ちゃんは
母のようには言わなかったけれど、「あゆみより」も「追いかけ」もしなかった。
でも
祈っていたのは私は分かっていたわ。
ゲラゲラ笑いっぱなしで一日が終った日もあったの。
な〜んにもしないで・・数年PCで遊んでいたことになるわね。
サイトを作ったからそれをしながら、毎日自由気ままな生活をしていたわ。
手の掛かる家族もいないから(夫、子供各1名)出来たと思っているの。
だから・・・
いちいち言わないけれど感謝しているの。
感謝ってね、本当は形とかそういうものだけではないと思っているのよ。
でもね
形で見ないとわからない人っているから形も見せたいと思い始めたの。
それで一念発起したのが一昨年ね。
外にでて働こう!!
すぐ仕事が見つかったの・・それも私の得意?分野で。
信じられる?
でも本当よ。
そこは1年2ヶ月お世話になって辞めたの。
まるで、今の仕事の予行練習させてもらったようなの。
楽しいことだけだったわけではなかったのよ。
あのまま辞めて家にいたらさほどに思わなかったと思うけれど
すぐ新しい仕事が舞い込んで今があるわけね。
あの1年・・人間観察が出来たの。
それも、お給料いただきながらよ。
「払うと頂く」とでは身につくものが違うのよ。
わかる?
学校へ何10年、なんびゃくねん行ってもこの勉強は出来なかったと思うわ。
私のことだから、せいぜい頭でっかちになったのが関の山よ。
そう思うとね
み〜んなマッサラになって
「ありがとうございました!」しか残らないことがわかったの。
こういう気持ちって・・・すっごく しあわせを感じる ときね。
37ちゃんは
「心が先」って教えてくれたわね。
あの頃、「そんな悠長な・・・」って思ったわ。
今はよ〜〜〜くわかってきたわ。
引きこもりもしてみた・・
お勤めもしてみた・・
さあ、
「心が先」じゃない人ともこれから共に歩んでいくことを私は選んだわ。
まだまだ実験は続くわ。
それも、だんだん高度な実験ね。
教えを乞うこと。
共に歩むこと。
学ぶことは楽しい。
学んだことを実験することはもっと楽しい。
「サナの真法」を書き始めたのは昨年5月。
夢・目標(イメージする)が決まったならば、
向こうからやってきてくれることを私はこの一年で学んだ。
最初の一歩は誰でも一緒。
特別な人などひとりもいない。
だって、この私がここまで出来たのよ!
転んだら起きるだけ。
後からくる人のジャマになるし、踏まれちゃうよ〜
ここまで引っ張ってきてくれた37ちゃんに感謝。
そして
見える人、見えない人、もの、全てにありがとうです。
心から、心からありがとうです。









